てぃーだブログ › 13トリソミーの息子の体験記

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Posted by TI-DA at

2008年07月30日

最愛の大君誕生

平成14年6月23日(日曜日)体重2746gで、二番目の最愛の息子が生まれました。


 しかし、その喜びも担当医の一言で、驚きとショックで頭が真っ白になってしまいました。


実は、最愛の息子が先天性の病気(染色体異常)で、生まれてきたのです。

 すると担当医は、今すぐ設備の整った大きな病院に息子を移した方が良いと言うことで、



私と息子は、準備された救急車で別の病院へと向かいました。もちろん妻は、

生まれてきた最愛の息子と会う事がその日は、出来ませんでした。


 妻が息子と初めて対面したのが、それから、数日後でした。


 息子は、移転先の病院でいろいろな検査や処置を受けました。


息子の検査や処置が終わり、その日の夜、妻が入院している病院に戻り、

妻に息子の事をどのように話したか覚えていませんが、

その日は、一日中私と妻は泣き続けました。


 それから数日後、検査の結果息子の病名などが解りました。


病名は、先天性13トリソミー(染色体異常)で、それからくる、合併症で、心室中隔欠損症、心不全、口蓋裂などでした。


 その日から息子と妻と私、そして長男や親を含めての戦い(修行)の日がスタートしました。
 


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Posted by 大くん at 17:00Comments(0)

2008年08月27日

小さな体で戦う息子

その日から息子は、集中治療室で治療を受けながら小さな体で大きな敵(病気)との戦いが

始まりました。 


息子の体には、いろんな機械やチューブが繋がれているのを見て、

何故、自分達の息子がと思いました。


後日、担当医から病状や今後の治療計画等の説明がありました。


その時、担当医から言われたことは、13トリソミーの病気で、

生まれてきた子供は、1年以内で亡くなる事が多いと聞かされました。

妻と私は、頭の中が真っ白になり、息子の顔を見ると涙が止まりませんでした。


その時、妻と私は、いつ会えなくなるか解らない息子と1分・1秒でも、

永く一緒に居たいと云う事で、2人とも仕事を長期休暇を貰い、朝早くから夜遅くまで出来る限り、

息子と一緒に居ることに決めました。(長男は、両親に預かってもらい)


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Posted by 大くん at 14:09Comments(0)

2008年08月27日

息子との思い出作り

妻と私は、息子との思い出を残すために、この日から、息子の表情や体重や治療内容などの

成長記録を日記に書くことにしました。


 その息子の成長日記は、いつも朝のあいさつから始まり、

息子に問い掛ける様に書きました。


 すると、息子の担当看護士が毎日毎日、息子の気持ちになって、私たちが書いた

問い掛けの日記に返事を書いてくれました。


 そのお陰で、妻と私は、息子と本当に会話をしているように思えました。(感謝)



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Posted by 大くん at 16:48Comments(0)

2008年08月30日

思い出のアルバム造り

毎日の日記と一緒に、日々の息子の表情も一緒に残したいと思ったので、

毎日、1枚から2枚の写真とビデオを撮ることにしまいた。


 その撮った写真やビデオを家で待つ、お兄ちゃんや両親に見せると、

お兄ちゃんが嬉しそうな表情で、弟の名前を呼ぶのを見て、一緒に暮らしていなくても

やっぱり、兄弟なんだなとつくづく想い嬉しかったことを思い出します。



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Posted by 大くん at 19:16Comments(0)

2008年09月02日

NICUでの息子

妻と私は、NICUで病気と戦い、治療を受ける息子に会いに行くことが、

私たちの毎日の日課となりました。


 病院に向かう度に、息子は元気なのか?昨日は、何も変わった事はなかったかなど、

いろいろと考えながら、病室に入り息子の元気な姿を見ると、ホットしました。

 病室で、私たちは何かをする訳でもなく、息子の側で親子3人、

何時間もいろいろと会話をする事しか出来ませんでした。暫くの間は・・・



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Posted by 大くん at 16:38Comments(0)